下町の大衆酒場で愛される、あのうまさ。

戦後まもない昭和20年代。東京の墨田区・葛飾区を中心とする下町の大衆酒場の店主らにより「焼酎ハイボール」は産声をあげたといわれています。当時まだ飲みにくかった焼酎を少しでも飲みやすくしようと工夫したところから生まれたそのレシピは、店それぞれのもので門外不出。

"ウィスキー・ジンなどをソーダ水などで薄めた飲料"である「ハイボール」から、"焼酎をソーダ水などで薄めた飲料"「焼酎ハイボール」と呼び、その略称が「チューハイ」になったといわれています。以来、70年近くも飲み継がれ、今でもこうしたお店では看板メニューとして圧倒的な人気を誇るお酒となっています。下町ブーム・立ち飲みブームにより、どの店も満員状態。昔馴染みのお年寄りから若者まで、様々な人に愛飲されている歴史ある飲み物なのです。

まだまだ日本が貧しかった戦後も、高度経済成長期のエネルギッシュな時代も、バブル経済に浮かれた華々しい時代も、その後、続いた厳しい不況期も、時代がどんなに変わっても「焼酎ハイボール」はいつもそこにいて、変わらずに飲まれてきました。それは過去の話ではありません。まだ見ぬ新しい時代にもまた飲まれ続けていくことでしょう。

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