京浜東北線東十条駅と埼京線十条駅を結ぶ商店街にはこころきいた居酒屋や昔風なお店や篠原演芸場などがあって、ちょっとした下町気分が味わえる。

その商店街から少し離れたところに、うまいもつ焼きを食べさせるので有名な居酒屋があるというので、大竹画伯と一行は早速出陣東十条駅から東へ徒歩五分。面白いのはここにもつ焼きで有名な店が二店、至近距離で営業しているのだ。今回のお目当て「新潟屋」の門をくぐる。午後四時、「がたや」と書かれた赤ちょうちんに灯が入る。

まずはハイボール(三五〇円)と煮込みを頼み、画伯はスケッチ帖を開く。開店を待ちわびていた客がすでに数人。コの字型のカウンターとテーブル四卓で三〇人以上は入れるだろうか。たちまち店は賑やかになる。食い意地張った画伯は隣近所のお客が注文するものを自分も片端から注文。もつ焼きはレバ、カシラ、チレ(脾臓)を発注。「ハイヨッ」とご主人が紀州備長炭の焼き台に串をのせる。奥さんが飲み物を作る。若い女子衆が注文品を運ぶ。見事な連携プレーで客を待たせない。串焼きは一本一〇〇円、一品料理は三〇〇円。

画伯はメニューの中からわけの分らないものを見つける注文する癖がある。

東京・東十条に有名なもつ焼き居酒屋があり、ここにもまた焼酎文化の歴史がある

「ポパイ」はほうれんそうのおひたし、「子袋のなまこ」は生のコブクロの三杯酢と分かった。飲み物をハイサワー変える。奥さんが手際よく宝焼酎25度を注いで作ってくれる。

ご主人のお父さんが新潟県山古志村の出身で、上京して昭和二二年にこの店を出した。そういえばなんとなく田舎のひなびた感じのたたずまいは地震ですっかり有名になってしまった山古志村の雰囲気か。荷物置き場として作られた頭上の網棚は、なつかしい夜汽車を思い出させる。

「終戦直後に上京したお父さんは上野に着いて、周囲の荒廃ぶりに驚いたろうね。当時は質のよくない焼酎を飲ませる店もあったけど、戦後の復興とともにだんだん焼酎の質も向上してきた。この店もきっとそんな焼酎文化の歴史とともに歩んできたんだろうね」

画伯が柄にもなく歴史だの文化だの言うので、思わずむせる。戦後復興期の焼酎ブームを第一次とすれば、昭和五〇年代のチューハイブームが第二次。今は第三次焼酎ブームだが、この店は流行に惑わされず、焼酎、ハイボール、ハイサワー、ウーロンハイに限定している。六〇年に及ぶ店の歴史が二代目にも守られているようだ。

「お客さんは常連さんがほとんどで、近所の方より途中下車の人が多いですね。あちらさん(もう一軒の有名店)とは別に張り合っているわけじゃなくて、会えば挨拶します。あちらも二代目なんですよ」
とご主人。どこか作家の山本一力さんの風貌を思わせるのはともに苦労人のせいだろうか。

「いつものお店でいつもの顔と会ってうれしい酒を呑む 古いのれんの油のしみがだまって教える店の味」
三遊亭小金馬の色紙がかかっている。

「さすがにうまいこと言うね。このお店にぴったりだ」
画伯はまた一杯おかわりした。

  • ※ 2006.3.2 週刊文春 掲載分
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