大衆酒場酔考譚

司馬遼太郎先生を気取るわけではないが、酎ハイの歴史・文化をたどるには、どうしてもこの街道を歩かなければならない。

京成押上線・八広駅と東武伊勢崎線・鐘ヶ淵駅を結ぶ鐘ヶ淵通りのことだ。水戸街道を突っ切り、玉ノ井いろは通りと分かれるあたり、点々と大衆居酒屋が並ぶ。その一軒、「亀屋」の戸を開ける。「玉ノ井というからには永井荷風の『墨東綺譚』で有名な花街があったところだよね」

と大竹画伯がきょろきょろと路地を見まわす。いまにもお雪のようないい女が出てくるとでも思っているのだろう。残念ながら、かつての華やぎはすでにない。

「焼酎ハイボール 二五〇円」

これが本日の主役である。七〇歳まであと一年というおやじさんが愛想よく作ってくれる。大きめのタンブラーの底にまず厚めのレモン輪切りを置き、ニホンシトロンという炭酸水を入れた後、やおら冷蔵庫から取り出したのがウイスキー瓶に入れた黄色く透明な液体。それを表面張力いっぱいまで注ぐ。この謎の液体こそが正統派焼酎ハイボールの神髄だ。

「んー、レシピは秘密。25%の宝焼酎に"元祖の素"が入ってる。炭酸を先に入れるのは、ふきこぼれないからね。氷は注文されなきゃ入れない。薄まっちゃうし飲む量も減るじゃない」

焼酎ブームの原点を居酒屋で考える「酎ハイ街道をゆく」

おやじさんはお客の味方だ。もちろん焼酎水割りも麦ハイ、ウーロンハイ、トマトハイもあるが、五〜六人いた客たちはみんな焼酎ハイボールだ。壁いっぱいに貼り出されたメニューも豊富。シャケ、ウィンナー、焼きそば、ざるそば、すいとんなんてのもある。「ここのムツを食わずして『亀屋』を語るなかれ」との常連客の教訓によってムツ焼きも注文。厨房でおばちゃんがよく働いている。

ストレートで飲むのが当たり前だった焼酎に、梅エキスなどのシロップを入れるようになったのは、終戦直後の雑味が多かった焼酎をいかにおいしく飲むかという工夫からだった。やがて炭酸で割った焼酎ハイボール(酎ハイ)が生まれたが、それにも微妙な味付けの"元祖の素"を入れるようになった。これが、東京下町の正統派酎ハイだ。"元祖の素"とは何ぞやという興味はつのるが、今では秘伝のレシピで飲ませる店は少なくなってしまった。

「私は二代目でね、オヤジが玉ノ井の入口で『亀屋スタンド』という洋酒バーを昭和七年からやってた。子供の頃はレンタルの湯たんぽを置屋の姐さんたちに届けたりしたもんだ。この店を始めてもう四〇年」

店の壁に飾られた表彰状をめざとく見つけた画伯が感心して、「ヤングパイレーツ 中学軟式野球 東京都大会で優勝 凄いじゃない」

「あったりまえよ! このおやじが監督なんだ。鬼監督でさ、この歳になってもノック一時間は平気だからね。甲子園に九人も送り込んだんだ」

と常連客が自慢そうに言う。鬼監督は、ヘヘヘーと笑って「酎ハイ街道」の夜はふける。

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