東京から足を伸ばし、向かった先は神奈川県鎌倉市。観光客であふれる中心街の一角に、創業21年を迎える酒場「よしろう」がある。10席ほどの小さな店を切り盛りするのは、和服を上品に着こなす女将の姫田あかねさん。焼酎ハイボールで乾杯し、喉を鳴らすと、出てきたのは「なすの煮びたし」。「見た目からして、夏の疲れた胃に沁みそうですね」とは西島さん。薄口の味付けが、野菜本来の味を引き立て、さっぱりした清涼感をもたらしてくれる。料理は自己流だという女将に、店を始めたきっかけを訊くと、「あんまり現実が分かっても……。こういう酒場って、夢の空間だから」と、つれない答え。そうは言っても気になる女将の話。聞きまとめると、鎌倉生まれで中学から東京に住んだが、父を早くに亡くし、叔母がやっていた割烹でアルバイトをするようになったのが、この商売との関わりの始まり。その後主婦業を経て、父の名前を屋号に、鎌倉で開業したのだという。
次の一品は「いわしの黒酢煮」。作り置きできて、すぐに出せて、評判がいい。一人で店を切り盛りする女将を助けるこの一品。酢でいわしを炊くと、匂いが強くなってしまうのだが、女将がある黒酢に出会い“これならば!”と、作り始めたのだという。「実にうまい!」、「お酢が全然キツくない」と、その味を褒める二人に「実にいいもろみの酢なの。だから私の腕じゃない。酢がいいおかげ」と女将は笑う。
ここできたろうさんが、お店の名前にもなっている女将のお父さんについて聞くと、「戦後、フランス映画の字幕の翻訳をしていました」との答え。実はお父さんの姫田嘉男氏は、秘田余四郎の名前で『勝手にしやがれ』や『禁じられた遊び』、『天井桟敷の人々』など、数々の名作を手掛けた名翻訳家。「一週間に何本もの映画を翻訳するので、新橋の旅館で缶詰になって、ほとんど家に帰ってこない。夜になると、どてらを着たまま銀座で飲んでたそうです」。きたろうさんが「昔の文学者の雰囲気だねぇ」と感心すると、「父は銀座で、相当たくさんのお金を使ったらしいですね。父が亡くなって、ここに銀座のお店の方がいらしたんです。“あなたのお父様には、とてもお世話になった。うちの店の柱の一本、二本分、お返ししたい”って(笑)」。さらには「私の手を握って“あなたのお父様にはね、原宿のマンションまで来てもらったの”って言われて(笑)」。娘としては少々複雑な心境の、父の想い出話に、一行も一緒になって大笑い。しかしなんであれ、亡くなってもそこまで感謝されるとは、相当に器の大きい人物だったに違いない。
次に出てきたのは「とりのくわ焼き」。上品な盛り付けのくわ焼きを食べた2人は、「甘辛いというか、ちょっと甘めですね。美味しい」、「子供のとりじゃないよね、大人のとりになってるよね」と満足げ。最後に“これだけは食べて帰れのメニュー”をお願いすると、焼けた卵の香りと共に、美しいオムレツが登場。「しらすねぎのオムレツ」の名のとおり、半分に割ると中から、たくさんのしらすとねぎが現れる。優しい卵の味と、しらすの塩味のバランス。それを楽しむため、余計な調味料は必要なし。一番人気だというのもよく分かる一品だ。
西島さんが、店を始めるにあたり、不安がなかったかを訊くと「なんとかなるだろうって。それに開店当初は、1人ずつお客様を増やそうと思っていました」。店が狭いため、グループ客が5人もいると、ほかのお客様が入りにくい雰囲気になってしまう。「心配してくれた友達が、店に行くって言ってくれてもお断りしてたの。オープンして3ヵ月は来ないで、って」。そして一見さんひとりひとりに、丁寧に接した。一見さんは、やがて常連さんになっていく。でも常連だからといって、特別なことはしない。ただ丁寧に、一見さんと同じ様に接する。「私、冷たいって言われるんですけど、そうじゃないんです。みんな、お客様は同じく大事だと思ってやってるんです。だって同じお代をいただいているんですから」と笑う。
酒場とは“人と人を繋ぐ場所”という女将は、見知らぬお客様同士を、自然な会話で結びつけ、いつの間にかコミュニケーションの輪を作り上げてしまう。その卓越した女将術は、まるで出演者の才を引き出す名司会者のよう。そして店を出るお客さんの肩からは、きれいさっぱり仕事の垢が落ちている。実に見事な仕事ぶりだ。