JR荻窪駅南口、生活に密着した昔ながらの商店街を通り、少々狭い入り口から暖簾をくぐる。ここ「荻窪 鳥よし」は、創業56年目を迎える焼き鳥屋。狭い入り口に反し、店内は意外に広く、きびきび小気味よく働くスタッフと二代目主人の脇坂周一郎さんが迎えてくれる。焼酎ハイボールで常連さんと乾杯して、早速、おすすめの串を焼いてもらうことに。「じゃあ最初に“V3”を」という二代目に、きたろうさんが思わず「三連勝?」と聞き返す。出てきたのは、ほかでは滅多にお目にかかれない希少部位の串3種。“かんむり”と呼ばれる鶏のとさか、“べら”という砂肝の柔らかい部分、尾の付け根の“はごいた”と、珍しい部位の名前に、きたろうさんも西島さんも興味津々。こんな希少な串が出せるのには理由がある。「鶏をまるで(まるごと仕入れて)さばいているので、全部の部位が手に入るんですよ。シメた鳥を『ごめんね』ってザクッと切って、部位に分ける。もうそういう店は少ないと思います。でも鳥料理屋っていうのは、それが原点だから。うちの親父から、こういうもんだと教え方をされたので」。父である先代の主人・佳二さんから引き継いだ技と味を、二代目は今も頑なに守っている。
昭和35年、先代が開業した「荻窪 鳥よし」は、そのこだわりの味でまたたく間に人気店になる。働く両親の背中を見て育った二代目は、店を継ぐべく20歳で修行を始めるが、その4年後に先代が喉頭がんに倒れる。「その時はね、本当に完璧じゃなかったんで“まだまだだな”って、お客さんに言われたり」と、二代目は振り返る。先代はガンを克服する代わりに声帯を失うが、その後の熱心なリハビリにより、食道を使った発声を会得。先代は語る。「お客さんがアドバイスをしてくれるわけ。これは焼き方が甘いとか、辛いとか。お客さんが(二代目を)育ててくれた」。かつては決して任せなかった焼き場を、二代目に譲った先代は、今も毎日の仕入れや掃除を手伝い、店を支えている。
二品目は、先代の自信作をそのまま受け継いだ「つくね」。串を抜いた状態で出されるつくねは、添えられた卵の黄身と絡めていただくスタイル。「箸を入れるだけで割れたよ。柔らかくてうまいね」とは、きたろうさん。「これが本来のつくねの姿らしいですよ。野菜をちょっと多めに入れているので、柔らかくなる。焼くのに金串を6本使うんで、手間もかかるんですよ。私が小学校の時、遠足の弁当のおかずが、このつくねだったんです。学校で人気があってね、みんなが交換してくれって」と、二代目が笑う。
次は鶏の唐揚げと、レンコンにつくねを詰めた揚げ物がセットになった「唐レン」。「こんなに鳥のダシの濃い唐揚げ、初めて食べた」と、西島さんが驚くのも当然。唐揚げひとつにしても、鶏の脂肪から作った自家製の油を使うなど、実に手がかかっている。「ほかの店ではやってないと思いますよ。こんな面倒くさいこと、やらないですもん。コストはかかるし、手間もかかる。日持ちも悪くて、いいこと何もないですよ。ただ、うまいだけですよ」。この二代目の自信と自負、実にお見事!
最後は、二代目が考案した鶏ガラスープのラーメン。鶏ガラスープと聞くとアッサリ系を想像しがちだが、元となる“もみじガラ(鶏の足)”は大量のコラーゲンを含んでいて、とても濃厚。これに煮干しとかつお節のスープを合わせ、ガッツリ系の味になっている。「スープがすごい。1+1=3みたいなことになってるね」と、きたろうさんが表現するその味は、すでにラーメン通の間でも評判なのだとか。全てにおいて手を抜かないことを肝に銘じる二代目は、「親父を超えたいというか、親父のことを守りながら、もっといろんなことをやりたい」と言う。しかし同時に、手を抜きたい誘惑に「自分のできる範囲で商売をやる。できないことはやらないようにする」ことで、味と暖簾を守っているとも言う。そんな二代目の姿を見ている先代は「(二代目の腕は)まだわからない」と厳しい。だがその厳しささえも二代目は胸に刻み、焼き場に一生立ち続けるに違いない。