東京の新宿区にありながら、路地のあちこちに昔の風情を残す四谷三丁目。「どうだこの入り口、これは何かあるぞ」と、きたろうさんが言う雰囲気たっぷりの入り口を開けると、中はおしゃれなカウンターバー風。「山小屋酒場 羅無櫓(らむろ)」は、山好きなご主人の末松誠さんが、18年前に開いた酒場。店に飾られた山登りの道具に囲まれて、まずは焼酎ハイボールで乾杯! 丸顔で人懐こそうなご主人に、最初のオススメをお願いすると「牛すじ煮込み」が登場する。「品のいい牛すじ煮込みだこと。アクどい感じが全くないですね。肉が柔らかい!」と、きたろうさんが褒めると、ご主人の顔が一層丸くなり、「もつ鍋のベースになるお出汁を(店で)作るんですけど、それで煮込みを作ってみたら意外と良かったんです」という。箸で切れるほどに柔らかい牛すじ煮込みを見れば、この店の丁寧な仕事ぶりと、料理のレベルの高さがよく分かる。
福岡県の北九州市で生まれ育ったご主人は、大学進学のために18歳で上京。卒業後は建築関係の職に就き、現場監督として日本各地を転々とする生活をしていた。47歳で会社を辞め、52歳で酒場の世界へ。そして56歳の時に店を開業した。「大学山岳部の先輩が、飲むところを作れ、作れっていうんですよ。じゃあやってみるかっていう、ものすごくいい加減な生き方で……」。そんな始まりゆえに、店には山岳部の先輩、後輩はもちろん、登山家の常連客も多い。店名の「らむろ」はネパール語で、美味しい、美しい、綺麗といった意味の褒め言葉だという。「大変ですよ、商売は。目に見える仕事の10倍くらい、ほかの仕事がありますから。“しまったぁ”と思いましたね」と、ご主人は笑う。
次の料理は小倉の郷土料理「いわしのぬか味噌炊き」。ご主人が「漬物を漬ける“ぬか味噌”でいわしを煮たやつです。小倉では“炊く”っていうんですけどね」と、いわしを出してくれる。これを頬張った西島さんは、「あ、ぬかの味がする!」と初めての味に感激。各家でぬか味噌の味が異なるため、その家その家で異なる味がするのだという。ここできたろうさんが、壁の登山写真に目を留め、由来を聞くと「これは学生時代に登った剣岳(立山連峰にある標高2,999mの山)っていう、一番好きな山の写真です。私の前に座っている人が植村直己です」。植村直己といえば、世界初の五大陸最高峰登頂や、犬ぞりによる単独行による北極点到達など、輝かしい功績を残した冒険家。1984年にマッキンリー単独登頂に成功するも、下山途中で“消息不明”となった。「本当に大人しくて、どこにいるか分からないような人でしたけどね。でもまぁ、ひたむきさにはちょっと群を抜くものがありました。今考えると、不思議な人でした」。大学で一つ下の後輩だったというご主人。植村氏が“消息不明”でなければ、このカウンターに座る常連の1人だったかもしれない。
九州料理で欠かせない素材といえば鶏。こんがりキツネ色の宮崎地鶏の手羽の唐揚げをいただきながら、もう少しご主人に山や店の話を聞く。「店の毎日は楽しいです。僕、子供がいないので、若い人に“お父さん、お父さん”と言われるのがいい気分で」。西島さんが「山で羅無櫓(と書いた紙)を持っている人は、若い頃のご主人ですか?」と聞くと「これは僕の後輩で、うちで8年くらい居候してたんです。ローツェ(エベレルトの南に位置する標高8,516mの山)の頂上で、こんな紙を持って写真を撮ってくれたの、僕、知らなくてね……」。その後輩は平成20年、享年32歳でヒマラヤ山脈にて遭難。「息子くらいに思っていましたけど……、これ以上話すと涙が出ちゃう。本当に惜しい男でした」。山でつながった仲間には、他にない強い絆があるのだ。
最後の一品は、長崎の五島うどん。ここで喜びの声を上げたのが、五島うどんが大好きな西島さん。かけうどんを見て「うわー美味しそう。最高、シンプルイズベスト!」と叫ぶ。細麺で腰の強い五島うどんを、九州では馴染み深いアゴ出汁(乾燥させたトビウオからとる出汁)でいただく。暖かく優しい出汁で、お腹が満たされたところで、いつもの質問「ご主人にとっての酒場とは?」。これに「酒場とは“かすがい”です」と、答えたご主人。山で結んだ強い絆を、酒を酌み交わし、確かめ合う常連さん。そんな絆という名の“かすがい”が、毎夜深く心に打ち込まれる様を、ご主人はにこやかに見守っている。