「今日行くのはここ“大松”。知らないでしょ? “大松”といえば“いわし”。俺、大好きなんだよ“いわし”」と、店に入る前から嬉しそうなきたろうさん。東京千代田区の神田にある「大松」は、創業13年になる、活いわし料理で知られた名店。カウンターで待ち構えていたのは、店のオーナー松森孝志さん。まずは焼酎ハイボールで乾杯し、さっきまで店の水槽で泳いでいた自慢の活いわしの刺身をいただくことに。「水槽で飼うのが難しいです。生きているいわしは、なかなか刺身で食べられないですよ」とオーナー。体は小さくとも、その味は極上。頭付きの骨がピクピク動くほどの鮮度とくれば、その味はなおさら。「うまいね。コリコリして甘みがあって」「これだけ鮮度がいいと、身が締まっているんですね」と、感激する2人に「骨を唐揚げにして、丸ごと一匹召し上がっていただけます」とオーナー。カリカリに揚げた「骨せんべい」は、その香ばしさと、骨に薄く残った身のうまさで、最高のつまみに。「これは、いわし好きにはたまらんよ」という、きたろうさんの顔がさらにほころぶ。
スポーツに明け暮れる学生時代を過ごしたオーナーが、料理の世界に触れたのは大学生の頃。神田にある親戚の割烹料理店でのアルバイトだった。しかし、手先が器用でなかったオーナーは、27歳の時に料理人の道を諦め、接客と経営に専念した。「親戚の店を任されて、普通の割烹料理をやっていました。でも、お客さまがお見えにならないんですよ。それで困っちゃって、たまたまその時に板前さんが、“いわしでもやればいいじゃない?”って。それで試してみたら、急にお客さんが来るようになって」。しかし当時、いわしは大衆魚で、それをメインに出す店はなかった。「板前さんは、アジからでないと包丁を握らなかったくらいです。築地に仕入れに行くのも恥ずかしくて。当時のいわしってバケツ1杯で50円とか、そういう時代ですよ。相手にされないです」。それでも毎日、築地に通い続け、今では仲買人ともあつい信頼で結ばれている。
2品目はいわしの定番料理「いわしの煮付け(380円・税別)」。2日間じっくり煮込み、骨まで食べられるホクホクの絶品。厨房で包丁を振るう、この道50年の大ベテラン石井国雄さんは言う。「いわしっていうのは奥が深いっていうかね、なんにでも応用ができちゃう」。オーナーも「いわしっていうのは生で良し、煮て良し、焼いて良し、揚げて良し。で、練って良しじゃないですか。だからバリエーションがあるんですよ」と、食材としてのいわしの良さを語る。
次は、れんこんの隙間につみれを詰めて揚げた、ボリュームたっぷりの「れんこん揚げ」。「もうダイレクトにいわしの旨味。やっぱりつみれは美味しいですね。サクサクしたれんこんの食感と、いわしのつみれのホロホロ感がたまらない」、「これは酎ハイに合うね」と、2人は大満足。
最後の料理は、「にらつみれ煮」。登場した土鍋から立ち上る湯気に「鍋の季節だよね」「沁みる季節ですよ」と笑顔の2人。「うまい!」「うわ、たまんない。食感が柔らかい」と、かつお出汁と濃厚なつみれの旨味を堪能。「もういわし三昧だね。最初から最後まで全部いわし」と、いわし好きのきたろうさんが喜ぶ顔を見て「こうやってね、美味しそうに食べていただくのが嬉しいんですよ」と、オーナーの顔にも笑顔が広がる。「私は人が好きでね。働いている仲間も、お客さんも良い人に巡り合っているから、まぁ店もなんとかなってるかなって思います」と言う。酒場とは「お客さんが笑顔になれる場所」と語るオーナー。しかし、その笑顔を呼び込んだのは、信念を曲げず「いわし」に賭けたオーナーの苦労と努力の賜物であることは間違いない。