「八十八と書いて“やそはち”。釣りたてアジだって」と、きたろうさんと西島さんが入った品川区西小山の一軒。「釣りたてって看板に書いてあったけど、ご主人が釣ってくんの?」と訊くと、「そんです」と人の良さそうなご主人・熊田登さんが秋田訛りで答える。さっそく焼酎ハイボールをお願いして、まずは「今宵に乾杯」。そしてなにわともあれ「刺し盛り」だ。朝の5時から、ご主人と息子の茂さんが東京湾で釣ったアジをいただかねば。「若い頃はね、お客さんに“何を食べたいの?”って聞いて、“じゃあそれ、明日釣ってくるよ”ってね。今は歳をとったから、なかなかそれができない」とご主人。自慢のアジに「新鮮そのもの。美しいキレイな色をしていますね。歯ごたえがあって、シャキシャキですね!」と西島さん。アジ以外のタイやブリも朝〆で鮮度抜群。この魚を目当てにしたお客さんも多いが、さらに火・木・土曜は1,200円の刺身盛りが800円になるとあってお得。「チェーン店にはできないことをやろうと。釣った魚を出したらお客さんに喜ばれて、“こりゃいいなぁ”って。それからは寝ないで釣りに行ったことも何回もある。お客さんが“美味しい”って言うのを聞くとね、疲れなんか吹っ飛んじゃう」と、ご主人は笑う。
次の料理はタコとズッキーニの炒め物。西島さんが料理に絡まる黒いものが何か訊くと「塩昆布です」とご主人。その旨味と塩加減、さらにバターの風味が合わさって意外な味が楽しめる。「タコとバターって合うんですね。このズッキーニも美味しい。これはどなたが考えた料理ですか?」と訊くと「倅です」との答え。きたろうさんが「これは、お父さんには作れないね」と、意地悪を言うと、嬉しそうに「わかります?」と答えるご主人。自慢の息子を褒められると嬉しさを隠せないご主人が、なんとも可愛い。
18歳で料理の世界に入り、専門的に料理を勉強したいと上京したのが20歳の時。数々の名店で修行し「そこの店のメニューを全部、自分ができるようになったら辞める。そして次へ行ってそこでまた全部覚えたら、また別の店へ」という繰り返し。西小山に念願の店を開業したのは、上京して12年後のことだった。「若い時に面倒を見てもらった人が八十八って名前なんです。“商売をやりたい”って言ったら、“じゃあ、金を貸してやるよ”って。もう本当に尊敬しています」。接客を担当する女将のヤエさんは佐渡島生まれ。ご主人と51年前に知り合い、出会って1年後に結婚。以来修行中のご主人を支え、独立後は二人三脚で暖簾を守り続けた。「二人とも田舎者だから、東京で頑張るしかない」というご主人。「一番感謝してるのは、やっぱ母ちゃんだよね。俺はどこまでも突っ走る方だから、やっぱりブレーキ役が必要なんだ」。
次は「イワシの梅肉はさみ揚げ」。イワシに挟まれた梅肉と巻いたシソの香りが、口から鼻へ抜けていく。「梅肉が効いてますね。おつまみに最高じゃないですか」と西島さん。こちらも息子の茂さんの手による料理。小さい時から働く両親の姿を見て、日本料理店で修行したのち、この店に入った。自慢の息子の話になると「いい時期にバトンタッチしたいからね。それだけで頑張れるよね」と、ご主人の顔がさらにほころぶ。そして最後の料理は、釣りたてのアジを使った「なめろう」を、茶漬けでいただくことに。これに「最高! 素晴らしい! 待ってました、なめろう茶漬け」と、西島さんが喜びの声を上げる。〆だからと少量になるのではなく、たっぷり量が多いのも嬉しい。「あぁ、これはお酒の最後にたまらないな。これはもう高級料理だね」と、きたろうさんも目を細める。新鮮なアジをなめろうにする贅沢感。また、アジの身がちょっとザク切りで、大きいのも良し。
お客さんに感謝を忘れず、新鮮な魚をサービスする。「お客さんが喜んでくれて、それで生活ができれば十分」というご主人。日々の疲れを癒し、ホッと気を抜ける酒場でありたい。それで一生が終わっても悔いはないというご主人の顔は、いつも満足げに見える。