白金商店街の路地を曲がると、正面に見える赤提灯。ここは創業54年を迎える東京港区白金にある老舗酒場「可呂久」。お店を切り盛りするのは2代目の女将、小川博子さん。女将の作る家庭料理はもちろん、女性の一人客も多いという気楽な雰囲気が人気の店だ。焼酎ハイボール2杯を頼み、常連さんと乾杯を交わし、早速オススメ料理をいただくことに。「うちのオススメは、串の盛り合わせで“可呂久のおまかせ5種盛り”というのがあります。ちょっと時間がかかるので、先に“ぜんまいと新ニンジンのナムル(400円・税別)”を出します。これが突き出しなんです」と女将。串は注文を受けてから串打ちするスタイルで、それを待ちつつ小皿料理をつまみながら飲むというのが、この店の流儀のようだ。
ナムルは野菜を下ごしらえしたのち、ごま油、コチジャン、酢などで味付けしたもの。「うん、うまい。手間暇かかっているのが分かるよ」と、きたろうさん。料理は女将さんが一人で作り、揚げ物料理だけは従業員で“揚げ物女王”の異名を持つ小沼裕子さんが作る。「博子ちゃん(女将)が、やりたくないことには“女王”というタイトルをいただくんです」と笑う小沼さん。そろそろ串焼きが出来たかと思うと、もう少し……。そこで「里芋の煮転がし 柚子風味(650円・税別)」をいただくことに。代々伝わるおばあちゃんの煮方、味だという里芋に「これはね、もうレシピでは作れないよ。上品でうまい」と、きたろうさんの顔がほころぶ。
そしてようやく登場した串盛りは、豚バラに頬肉、レバーと大山鶏などバラエティ豊か。「もう母(先代)の時代から、仕入れの皆さんがいいものを入れてくださる」という串は、どれも新鮮で上質のものばかり。仕入れ業者と先代との信頼の厚さが伺える。
先代の小川千恵子さんが白金に開業したのは昭和39年のこと。「そもそも母は主婦で、商売をしたことがなかったんです。串焼きをやろうという話になって、それにはタレが必要だというので、新橋の焼鳥屋さんに行って修行もしないのに“すみません、白金で店をやるのでタレをください”って」。この逸話には「まさかの!」「怒られますよ」と一同絶句! 「そこの大将が“分かったよ、一壺持って行きなさい”って。母は車で乗りつけていたので、壺を持って帰れたという……」。これには「金持ちだねぇ。そこは普通、リアカーで持って帰ったっていうところだよ」と呆れつつ、きたろうさんは「もうよっぽど一生懸命で、かわいくて、何とかしてあげたいと思わせる何かが先代にあったんだね」と笑う。そんな先代が亡くなり、平成22年に娘の博子さんが暖簾を受け継いだ。
次の一品「手羽先唐揚げ にんにく醤油風味」を揚げ物女王が作る間に、創業当時からある「胡瓜の冷菜(600円・税別)」をつまむ二人。「考えてるね、箸休めまで」「さっぱりしているけど、ごま油が効いていますね」と、言っているところに熱々の唐揚げが登場。「にんにくが効いていて美味しい。またここにきてお酒がすすみますね」と、西島さんが褒める。いつもより多めのメニューを堪能し、最後の〆は「男子の焼き飯」。もともとアメリカンフットボールをやっていた女将の長男に出していた、いわば裏メニュー。それが評判となって名物になった一品だ。「お母さんの焼き飯って感じでうまいね〜」、「手作りの味がする。このなんとも言えない出汁と味付け」。しいたけから出る旨味が決め手という焼き飯は、高級中華店で食べるそれに引けを取らない。
常連さんは、先代と女将が料理の上手さも含め、よく似ていると語る。「母は一生懸命やることを、私に見せて教えていましたね」と女将。「何十年か続けてきて思ったことだって言っていたんですけど、“自分が本当にきつい時は「あ」が三つ。諦めない、焦らない、慌てない”。それから“99回店に来てくださったお客様に、100回目に無作法したら101回目はない”とも言ってました」。人としての生き方、酒場の作法をきちんと受け継いだ女将は、毎夜家に帰ると「今日も無事に終われた。賑やかだったし、本当にありがたい」と先代に報告するという。すると「よく頑張ったね」と先代の声が聞こえるのだそうだ。いつか母を超えられるだろうか? そう思いながら女将は、日々笑顔を絶やさない。