住宅街が広がる東京都杉並区永福の街に、控えめな白提灯。明治初期の蔵のものだという重厚な扉を開けると、多くのお客さんで賑わう焼き鳥「鳥雅」の店内。焼き場に立つのは、ご主人の井上雅之さん。焼酎ハイボールで乾杯を交わし、早速焼き鳥を……と、くるところだが、最初のオススメは「国産合鴨のタタキ」。名物のタタキは1日5食限定で「その日作った分を、その日にしか出しません。冷蔵庫に入れると固くなっちゃう」という一品。「63度くらいで、鴨肉にストレスを与えないよう、ゆっくりゆっくり火を入れる低温調理をしています。そうすると鴨肉に固いところができないんです」とご主人。西島さんは一口食べて「柔らかい。しかもこれ、脂がしつこく来るのかなと思ったら全然美味しい」とベタ褒め。きたろうさんも「こりゃ、焼き鳥もうまいな」と、期待を膨らませる。
次のオススメは当然、焼き鳥。親鳥の肉「じゅんけい」と、首の筋肉「せせり」を焼いてもらうことに。創業3年にして多くの常連さんを惹きつける秘密は、ご主人の“焼き鳥哲学”とも言えるこだわりにある。「焼き鳥は皿に置いて1分経つと、全然違うものになっちゃう。焼き鳥は火の入りたてが一番美味しいので、焼き台の上では、完全に火を入れていないんです。火が通るちょっと前にあげて、余熱で火を通すという感じ。そのドンピシャのタイミングがあるんですよ。だから焼き鳥は、寿司よりも早く食べなきゃいけない。そうしないと、どんどん火が入っちゃうから」。焼き鳥を食べた西島さんときたろうさんは、「じゅんけいって、肉汁も脂も美味しい」、「せせりのジューシーさと、甘味と旨味! 中で蒸されている感じがするんだよね」と、その焼き上がりを褒める。続いては、きたろうさんが「これで焼き鳥屋(の良し悪し)が分かる」というレバー。ご主人が修行した店からもらったタレをベースにした22年ものを使ったタレ焼きで、これを一口食べた西島さんは「周りはきちんと歯ごたえがする。そのプリンと歯ごたえのあるところからのトローンがたまらん!」と、満面の笑み。「味付けよりも焼きの状態を重視します。味付けは、濃い味が好きな人もいれば、薄い味が好きな人もいますからね」。煙を逃す焼き台をはじめ、備長炭の強い火力、そして新鮮な素材だけを使うなど、ご主人のこだわりは多いが、何よりも“焼き”をとことん突き詰め、常に最高の焼き鳥を出すことにこだわっているようだ。
ご主人が料理の道に入ったのは高校卒業後。「その時は料理の鉄人ブームで、あの番組に出たい、みたいな感じで」と、照れるご主人。専門学校を出てホテルの中華料理店で修行を積むが「ホテルだから100人前のチャーハンを作ったりね。世間知らずで生意気ですから“そういう仕事はしたくない”って辞めて。次は魚の居酒屋ですね。そこで10年くらいやって……」。その後、焼き鳥屋で3年ほど働いた後、35歳で独立し今にいたる。店が駅から少し離れているが、「それがいいんです。ちょっと歩いて店に向かってもらう感じがね。(店の構えも)気になるけど入りづらい感じを出したかったんです」というご主人。それでも大丈夫だという、腕に強い自信があったのだ。
次のオススメは「鳥もつ煮」。もつ煮といっても、一般的な大鍋の煮込みとは違う。「お蕎麦屋さんには結構あるんですけど、醤油と砂糖で甘辛く煮たもつ煮で、オススメはキンカンという殻がつく前の卵です」と出てきたのは、濃い色のもつの照り煮込み。もつの鮮度が良くないと使えないというのも納得。「これにはちょっとハマっちゃった。お酒が進みますね」と、西島さんもお気に入りのご様子。そして最後は、鳥を使った麻婆豆腐。日本の山椒と中国の山椒、両方を使い“鬼”麻婆の名前にふさわしい辛さに仕立てる。グツグツ吹き立つ麻婆豆腐は、山椒がビシッと利いているが、意外にもさっぱりとしている。
常連さんによると「こんなにご主人から、こだわりの話を聞いたのは初めて」というくらい、普段はこだわりを話さないようだ。いつもはお客さんの会話に耳を傾け、相談にも親身になって答えるという。「酒場はいろんなことが起こるので、私にとってはテーマパークです」というご主人。うまい酒と焼き鳥に真摯に向き合いつつ、いつもはお客さんの声を聞き逃さない。そんな店だからこそ、少し駅から離れていても、足を伸ばし、訪れたくなるのだ。