東京都足立区の竹の塚といえば、人気の大衆酒場がたくさんある街。創業37年目を迎える「ひよこ」も、そんな人気店の一軒だ。厨房に立つのは、穏やかな表情ながら芯の強さを感じさせ、思わず“大将”と呼びたくなる島田治男さん。焼酎ハイボールで常連さんと乾杯を交わし、まずは一品目の刺身盛合せをいただくことに。出て来た皿は見た目も美しく、まぐろのほか、富山の白海老、炙ったのどぐろ、愛媛の太刀魚、千葉のひらめ、佐渡の寒ぶりと日本近海の海の幸が大集合。「キラキラですね!」、「うまいね、このトロリと溶ける甘さ」と白海老を褒め、「のどぐろ、めっちゃうまいぞ!」、「ちょっと止まらないですね」と、2人は次々に箸を進めていく。大将は毎朝、東京都中央卸売市場 足立市場に通い、刺身のクオリティを保っている。こだわるのは天然物であること。「養殖の魚ってのは、何を食べても同じ感じがする。餌も与えられるので動かない。天然の魚っていうのは、餌を自分で求めて探して泳がないといけないから、食感が全然違う」と、ご主人は魚本来の味を大切にしている。
続いては、真鱈の白子天ぷら。アツアツの揚げたてに、ゆず塩をつけていただくと、まさに言葉どおり、白子がとろけていく。「天ぷらにすると、濃さが際立ちますね。しみじみ美味しい」とは西島さん。これもまた、天然の真鱈本来の白子の味だ。
竹の塚の他の店と「ひよこ」が少し異なるのは、会社帰りに寄るお客さんが少ないこと。接待で使われることが多く、週末は家族連れが増える。常連さんによれば「安いものから高いものまで、隙なく美味しいんですよ」というのが、この店の魅力だという。そんな大将が料理の世界に入ったのは高校卒業後。銀座や赤坂など7軒の日本料理店で、12年の修行を積んだ頃「親父の地元の友達が、店をやってくれないかと話が来たんですよ。店を借りてくれってことで」。修業先で知り合い結婚した奥さんの昌子さんと、30歳にして生まれ育ったこの地で開業した。それから昌子さんは、26年にわたり持ち前の明るさで治男さんを支えたが、10年前に突然の病で帰らぬ人に……。「たまに頭をよぎったりしますね。当時は“やめちゃおうかな”とか、思いました。感傷的になっちゃって。(昌子さんへの)感謝は今もあります」と、大将は語る。
「次は、もも肉一枚を網焼きにして召し上がっていただきます。野菜を食べて育った、岩手県産の銘柄鶏です」と、大将が出してくれたのは色とりどりの野菜もたっぷりに盛られた鶏の網焼き。「鶏なのにさっぱり。こんなに分厚いのに柔らかいのもすごいですね。ふわふわ!」と西島さん。魚だけでなく、肉や野菜にもこだわりを貫き通しているようだ。
次に出されたのは酒場の定番、牛スジの煮込み。しかしこの店では、一味違ったおでん風の塩味だ。グツグツとまだ音がするアツアツをいただくと、これが実に上品な味。「あ〜、うまいね。京都にいるようだね」、「いや〜、出汁が美味しい。これはしみじみ来ちゃうやつですね」と2人は絶賛。続いて“最後にこれだけは食べて帰れのメニュー”をお願いすると「天然物のふぐを」と大将。店に入る時、ふぐ料理の“のぼり”を見て「夕焼け酒場的には関係ないね」と言っていたきたろうさんが「仕方ない、いただくしかないね。夕焼け酒場にしては贅沢なんじゃない?」と言いながらホックホクの顔。しかし天然のふぐちりが2人前で4,500円とは破格。一口食べて「ふぐだね。幸せだなぁ、美味しいものを食べると」、「この歯ごたえ、ふぐ以外にないですよね。うわー美味しい」と、冬の味覚の王様を堪能。
修行12年にして「ひよこ」という名前で船出した店も、37年の店の歴史の中で、家族連れで訪れていた子供が、成人式を経て店に通うことも珍しくないという。そうしたおつきあいが何よりも幸せという大将。その表情はなんとも幸せそうだ。