「知る人ぞ知る名店らしいよ」と、きたろうさんが戸を開けるとそこは玄関スペース。さらに戸を開けると居心地の良さそうなカウンターと、テーブル席が見える。「ドキドキしながら入ってきちゃったよ」というこの店は、東京墨田区墨田にある、創業86年の歴史を誇る老舗酒場「はりや」。お店を切り盛りするのは三代目店主の荘司美幸さん。先代店主の張谷幸助さんと、今も店を手伝う美音子さんも加わり、ちょっと琥珀色の焼酎ハイボールで「今宵に乾杯!」。最初の一品は女将考案の「かきのオリーブ漬け」。「オリーブオイルは何にでも合うよね。うまい! 酒の味が引き立つね」と、きたろうさん。料理のこだわりを聞くと「こだわってはないですけど、訳の分かんないものは使わない。母が全部手作りで、それが当たり前で育っていますから。例えば醤油麹を自分で作って漬けたりとか、そういうことは手間じゃない」という。手間を惜しまず、それを楽しむ。なかなか実践できることではない。
この地で酒屋をしていた祖父の佐重さんが、酒場を開業したのは昭和6年のこと。昭和42年からは2代目の幸助さん夫婦が店を継ぐが、平成28年にご夫婦の高齢化と区画整理に伴い、一度は閉店。しかし娘の美幸さんが「小さい頃からずーっと手伝っていたので、勿体無くて。お客さんもそうだし、カウンターや柱とかの物もそう。お宝がいっぱいあるので、それを引き継ぎたくて。歴史を守るとか強い意識じゃないんですよ。DNA? そんな感じ」と女将は笑う。そして閉店から1年後、店は再開する。次のオススメは、そんな前の店から引き継いだ味「げそ天」。「どういうものか、分わかりますか?」と女将。イカ下足を天ぷらにしたアレかと思いきや、下足たっぷりのお好み焼きみたいな一品。ソース、鰹節に青海苔がかかり、微妙に甘い。それをチビチビとお酒と一緒に食べると実にいいつまみになる。「これは意外と止まらないね」と、きたろうさんも絶賛!
次の一品も前の店からの人気メニュー「キャベツ炒め」。「そんなのうちで食えるよ」と、きたろうさんが言うと「そう思うでしょ? 違うんです」と女将。登場した皿にはキャベツだけじゃなく、もやしや麺も入っていて、もはや完璧に焼きそば! 美音子さんによると「元々は肉を入れて炒めてたけど、お客さんに“もやしも入れろ”とか言われてね、最後には“そばも入れろ”って。もうこれ以上は嫌ですってこうなったの」という。続いては女将オリジナルの「煮卵サラダ」に舌鼓。しっかり味の煮卵に加え、ドレッシングが美味しく、野菜がもりもり食べられる。
次々と料理を出す女将。その手際の良さも当然で、実は近くで定食屋「二階の食堂」も営んでいるという。昼夜を問わず働きづめの毎日を送る女将に、「なんでそんなに仕事が好きなの? 一軒でいいじゃない」と、きたろうさんが訊くと「それには明確な答えがありまして、私は自分だけが楽しいんじゃなくて、いろんな人が働いたり、集ったりというのが楽しいの」という。店を再開させる時は両親も前向きで、「私がやりたいことに対して、“やるの? 分かった。どうやんの?”みたいな協力体制があって。本当に素敵な親です」と感謝する。
最後の〆は「煮干しラーメン」。もちろんこれもイチからスープを取るという。「麺の茹で加減も最高。レベルが高い! ラーメン屋さんのラーメンより美味しいかもしれない」と西島さんが大絶賛。2代目の幸助さんに、店を長く続ける秘訣を聞くと「明日食べられればいい」と一言。そんな欲張らない哲学を受け継いだ女将に、将来の夢を聞くと「夢はないです。夢って、持ったら実現するだけですからね。やってくしかないから。小さい時から“目の前にあることをやるんだ”って言われて来ましたからね」。欲張らず、考えるよりもまず先に手を動かす。女将が先代から受け継いだ一番大切なものは、店やのれん以上に、この商売のあり方そのものかもしれない。