東京・北区王子駅の線路沿い。店先の大きなおでん鍋の匂いに誘われ、次々と人が吸い込まれていく立ち飲み店「平澤かまぼこ 王子駅前店」。きたろうさんと西島さんが訪れたこの時も、「ちょっと通してくださいね」と常連さんをかき分けての入店。お店を切り盛りするのは、82歳の“看板娘”平澤京子さんと、息子の慶彦さん。焼酎ハイボールで乾杯し、「早速、味自慢のおでんを!」と、きたろうさん。おでん鍋を前に「まずは大根! それにちくわ。あと子供みたいだけどウィンナー。あっ卵も!」。即断するきたろうさんに対し、店のオススメ、カレーボールとちくわぶのほか「うずら巻き食べたい。あ〜、あれもこれもってなっちゃう」と悩み多き西島さん。肝心の味も、文句なし! それもそのはず、元となっている店は、60年続く蒲鉾店なのだ。
蒲鉾店の先代主人は、南満州鉄道で技術者として働き、帰国後、修業先の蒲鉾店で出会った京子さんと結婚。昭和37年に独立、開業した。「私のお父さんはね、満鉄の技術屋だったから、職人としてはいいんだけど、商人としてはダメでしたね。“値上げしよう”って言うとね、必ず“値上げしなくても生きていけるじゃないか”って。でも、いい品物を作るとね、お客さんは来るんですよ。」そんな頑固な先代の味を、受け継いだ一品が次のオススメ。「はんぺんを刺身で」と言う慶彦さんに、思わず「刺身ってなんですか?」と問い返した西島さん。はんぺんといえばおでんか、せいぜい焼いて醤油をつけて……が、思い浮かぶメニュー。しかし、この店のはんぺんは材料に新鮮なサメを使っているので、生でも食べられるのだと言う。口に広がるサメの香りに「生はんぺん美味しい。ちょっと香り強いかなと思うんだけど、慣れたらやみつきになる!」と、蒲鉾店の底力に感激する西島さん。
女将の京子さんは、樺太生まれ。昭和の激動の時代を生きてきた。「私は、学校は出ていませんけど、両親からいい教育を受けました。父からは“どんなに良い時があっても、財は無くなる。でも教養と教育は、誰も持っていかない”、“自分の下部に人はいない(みんな同等だということ)”って。母は生きる知恵を教えてくれた。樺太から引き上げて、生活が一変するでしょ。電気とかなくて暗いわけ。“怖いね”って言うと、“怖いことは何もないの。一番怖いのは人の心よ”って」。そう話してくれた女将が、毎朝焼くという「玉子焼き」が次の一品。「卵焼きなんか、どこでも食べられるよ。大して美味しくないけどね」と悪びれる女将の玉子焼きは、おでんの出汁と砂糖が利いて、お酒のつまみにぴったり。
一方、息子の慶彦さんは、植木等に憧れてサラリーマンになったが、バブルが終わって王子に帰って来たという。「蒲鉾店だけでは食べられないから、失業保険と退職金をぶち込んで、この店を開店したんですよ」。女将に“息子はどういう人か?”を聞くと「仕事場に入ったらライバルですよ。好きなことをさせて、失敗をさせるんです。こんな若造なんか、失敗させて苦労させなきゃいけないですよ。失敗の中から自分で考えていけばいいんです」とピシャリ! さらに“息子と働けたことが良かったか?”と聞くと「息子は負担ですよね」とバッサリ! これにはきたろうさんも、西島さんも大笑い。常連さんによると、女将はいつもこの調子で、この話を聞くためにやって来る人も多いという。「勉強になるね。なんか塾に来たみたいだね」と、きたろうさんも今日は女将にタジタジ。
最後に“これだけは食べて帰れのメニュー”をお願いすると、焼き豚チャーシューが小皿で登場。このチャーシューが、驚くほど柔らかく、箸で持つと千切れそうになる程。じっくり6時間かけて煮込まれたチャーシューを、頬張った西島さんが「とっても美味しい」と言うと、「その“美味しい”って言われるのが、私たちのご馳走」と、笑顔になる女将。同じ目線の高さだからこそ、生まれる会話。これこそが立ち飲みのマジック。そして、こんな女将がいれば、自分の歳や肩書きを忘れ、ちょっと素直になれるに違いない。