東京都杉並区、京王井の頭線の久我山駅すぐにある「大衆酒場 くが野」。女将の松崎千世さんと、福井さくらさんが接客を。そして梶川龍一さんが、調理場を担当するお店。店を切り盛りする若夫婦と、目を光らせる女将、といった感じだが、それは一旦さて置き、焼酎ハイボールをオーダーし「今宵に乾杯!」。最初の料理「明太卵焼き」をいただくことに。これは出汁巻き卵に明太子が丸ごと一本入る、贅沢な一品。「うん、卵うまいじゃん。出汁が効いてるね。なかなかこんなフワフワに焼けないよ」と、卵焼きが好物のきたろうさんが太鼓判。
きたろうさんが、女将に「こういう言い方は失礼だけど……、相当きれいだった?」と、切り出すと、昔の写真を見せてもらい、その可憐さに一同ビックリ。「好きなんですよね、こういう商売。仕事が好きなんです。動いているのが好き、家にいるのが嫌で、具合が悪くても仕事に出てきちゃう」。栃木出身の女将は、高校卒業後に上京。20歳を過ぎて接客業を始め、貯めたお金で阿佐ヶ谷に自分の店を開業。その後、常連客だったご主人と結婚し、昭和47年にココ久我山でお店を始めた。続いての料理「ピンピン焼き」は、そのご主人が考案した店の名物。「山芋を食べると、元気になりますからね。だからピンピン焼き」という女将の解説を聞き、真ん中の卵を潰しながらいただくと、「山芋がトロトロしていて、香ばしい」と西島さん。ご主人の味は、しっかり料理長の梶川さんに受け継がれているようだ。その梶川さん。女将の息子さんかと思いきや「知り合いです。さくらさんは、彼の彼女です。うちの旦那が体を壊して、一人で店を続けるのが辛くて、常連さんとしてお店に来ていたところに、声をかけたんです」と女将。IT関係の仕事についていた梶川さんは、2ヵ月悩んだ末に会社を辞め、暖簾を守る決意をした。「ITの方も、まだ途中という感じで、葛藤していたんですけど、今やらなきゃ店は潰れちゃうし、“それは、ヤダな”と思って」と梶川さん。恋人のさくらさんの後押しもあり、飛び込んだこの世界。「楽しいですよ。自分が試したいメニューとか、任せられているので、なんでも作れる。好きにやらせてもらっています」という。
次の料理は、そんな梶川さんのオリジナル料理「マグロのテールステーキ」。きたろうさんが「なんだこれは。すごいね。全体像が想像できるな」と言ったのは、なんとマグロの尾の身を輪切りにした、ボリューム満点の一品。「すっごく美味しいですね。バッチリ、焼酎ハイボールと合いますね」と、西島さんが絶賛したステーキは、ニンニクオイルで両面をしっかり焼き、少し蒸すことで中まで火を通すのだという。そして〆のメニューもまた、梶川さんオリジナルの和蕎麦焼き。“日本蕎麦で作る焼きそば”だが、味の決め手はチャーシューを作る時のタレ。お腹は満たしたいけれど、夜にカロリーの高いものはあまり食べたくない。その要望に応える蕎麦であり、味付けなのだ。
女将さんに店を続けて良かったことを訊くと「楽しいね、やっぱり。苦労もあるし、それこそ眠れない時もあるけどね。客に文句を言った時、“もっと言ってやれば良かった”って、悔しくって」との答え。女将の飾らない正直な性格を知る常連さんは、その答えに大笑い。梶川さんも、そんな店の雰囲気に惚れ込んだ一人。「実家感があって、そう言うところが好きでしたね。お客さん同士が話して、僕はそのガヤガヤを聞いているのが好きだったんですよね」という。実際、店に入る時「ただいまー!」と言って、入ってくるお客さんも多いという。この店にとって大事なことを訊かれ「続けることじゃないですか」と、答えた梶川さん。女将から、お客さんとの信頼関係が築かれた店を預かった。後はその関係を壊さぬよう、真摯に続けるのみ。「2人なら店を任せて安心」と言いつつ、「まぁいずれはね。(店を任せるのは)先の話です。私が元気なうちは、私がやりますけど」と、現役バリバリ宣言。さすが「私の人生は(イコール)酒場」だという女将。まだまだこれからも、店を盛り立ててくれそうだ。