練馬の住宅街に暖簾を掲げる「田舎料理 相馬娘」。創業39年目を迎える店に入ると、客席は小上がりになっていて、きたろうさんと西島さんは、掘りごたつ風のカウンター席へ。「なんかかっこいいね。貫禄あるね」と、きたろうさんが褒めたのは、あごひげを蓄えた大将の永山康夫さん。そしていつも笑顔の女将、キミ子さんが運んでくれた焼酎ハイボールで、常連客と「今宵に乾杯」。まず最初にいただいたのは、カウンターの大皿料理から、定番の肉じゃがと、いわしの梅煮。「いわしは大好きなんだけど、梅干しが大嫌い」「じゃあ、梅干し抜きで」「いや、梅干しは西島さんが食べるから」。そんなやり取りをしながら料理をいただくと、肉じゃがはしっかり目の味付けで、いわしの梅煮はふっくらした身の食感が抜群。大将の作る料理は、家庭的で酒が進むものばかり。
店の名前にあるように、女将は福島県の相馬生まれの「元」娘。「前の仕事を早くやめて、私が先にこの店を始めたの」という女将に、「大将は手伝わなかったの?」と訊くと「まだ、前の仕事があったから。芸人をやっていたものですから」と大将。これには、きたろうさんも西島さんも「えっ?」と絶句。大将は「スパイク原とザ・コントメン」という、昭和40〜50年代に活躍したフライパンを使ったコミックバンドで活躍していた。「日本で唯一のフライパン音楽でしたから、やりがいはありましたね。誰もやってないから。面白い音が出ましたよ。あの頃は生活が大変でもね、前に進むエネルギーみたいなモノがみんなにあったね」と大将が言うと「昔はおかしな芸人さんが、いっぱいいたんだ。お金が目的じゃなかったもんね。やりたいことをやってた」と、きたろうさんも若き日を思い出す。一方のお母さんは、フラメンコ・ダンサーだったという。「ある舞踊団に入って、大勢で日本全国を回って、最後にソロダンサーになって、今度は一人で日本全国。芸名はアンジェリーナ・ミキ」。そんな2人が出会ったのは31歳の時、九州での営業先だった。「踊りは長く続けられないでしょう? いい時にパッとやめないと。それにやめたら、こういうお店をやりたかったし」と女将。そして妊娠を機に結婚し、大将は芸人を辞め、店の暖簾を守る決意をした。
次の料理はオリジナル料理の「キムタマ」。刻んだキムチと炒めたふわとろのオムレツ風で「美味しい!」「家庭的な感じだよね」と一同絶賛! 料理の修行経験がない大将だが、そこは人に好かれる人柄が幸いし、この道のイロハを教えてもらい苦労は少なかった。また大将は「死んだお袋が料理しているところ、ずっと見ていたからね。門前の小僧で、記憶が残っていたりします。こんな感じだったんじゃないかな、なんて思い出しながら作る時もある」と語る。名物の「なすの辛みそ炒め(650円・税込)」も、そんな料理のひとつ。アツアツを頬張った西島さんは「美味しい。これはクセになるやつですよ!」と顔を輝かせ、きたろうさんは「いやー、家庭でも作れそうだけど、微妙に何かが違うね」と感心する。それにきたろうさん、いつもより顔に赤味が差し、ご機嫌に酔っているようだ。
最後の一品は、なんとカレー。ごはんメニューが大好きな西島さんは大喜びだが、きたろうさんは「ルーだけで」。しかしルーをひと口食べて、西島さんのごはんをひと匙拝借し、「やっぱりご飯と食うとうまいな!」と、満面の笑顔。まさに人を元気にする庶民の味。「お正月なんかにお店をやっていると、田舎に帰る人と帰らない人がおられるでしょう? 我々も複雑にそういうお客さんのことを思う時があるね。雪の降るような晩だったらなおさらですよ」と語る大将。常連さんに2人のことを聞くと「練馬のお父さん、お母さんですよ」「何時間もいちゃいますよ」と慕われている。そんな人情の大将が、以前に体調を崩し、入院した時には見舞客で病院がごった返したという。それも今夜のきたろうさんの酔い加減を見れば納得。よほど大将と女将の人柄にハマったのか、最後の言葉は「また来ます」だった。