紺地に大きく「いのっ八」と染め抜かれた暖簾。一行が訪れたのは東京の蒲田で創業31年目を迎える酒場。「広々として、魚のいい匂いがする」と、美味しそうな予感がビンビン。まずは焼酎ハイボールをお願いして、常連さんと今宵に乾杯。調理場を仕切るご主人の井上八郎さんが、最初に出してくれたのは「刺身の盛り合わせ」。「食べるのが好きだから」というご主人の、この一皿のモリモリ具合がまたすごい。「中トロのマグロ、美味しいです。なんて滑らかなの」「肉厚に切ってるよね。これは贅沢だな」と二人が褒めると、「元魚屋だからね。高校の時から三年くらい」と八郎さん。魚屋に憧れていたというが……「昔、闇市みたいな感じの魚屋があって、真ん中に板前さんがいて、売り子がサバをパッと投げるとバケツで受けるわけです。それを捌いて新聞紙にくるんで板前が“はいよ!”って投げると、売り子が待ち構えていて、それをおばちゃんの籠の中に入れる。それが粋でカッコ良かったんです。小学5・6年生の頃から毎日行っていましたもん」と語る。高校2年生になると、地元の魚屋さんでアルバイトを始め、卒業と同時にそのまま就職。「本当は中学を卒業したら、と思っていたら進路指導で“馬鹿野郎、魚屋はそろばん弾いて帳面をつけないといけないんだから、商業高校行け”って。“いのっ八”という名付け親も、その先生なんです」。魚屋の仕事が大好きで、今も魚屋に戻れるなら戻りたいほどだという。
次の一品は「穴子の白焼き」。「ワサビだけ乗っけて、召し上がってください」という八郎さんの言葉に従って食べると「わさびだけで十分。美味しいね」「ほかほか! 皮のところに旨味があるの。こんなに爽やかなんだ!」と江戸前の穴子を大絶賛。「白焼きは、鰻より穴子の方がうまいと思うね」と、八郎さんが言うのも納得だ。
魚屋から酒場への転身には、奥さんの浜子さんが関わっている。二人が出会ったのは魚屋さんで働き始めて間もない18歳の時。3年後、八郎さんの猛アタックの末に結婚するが「(浜子さんの)親代わりの人が、割烹とか手広くやっていたおじさんで、“手元に置かなきゃ(婿にふさわしいか)分かんねぇ”って言われて、“わかりました”って飛び込んだんです」。年上の板前さんを使うこともあり、大変だったと言うが期待に応え、若干22歳にして割烹料理店の経営をまかされ、32歳で蒲田に自分たちの店を開業した。「辛かったのは、娘たちと会えないこと。でも、必ず寝る前に電話がきました。仕事から帰ると“こんなことが幼稚園や学校であったよ”って、手紙が書いてあるんです」と言う。
次の一品はカキフライとアジフライの盛り合わせ。「コロッケかと思ったよ」と、きたろうさんが驚いたカキフライ、そして刺身用のアジを使ったアジフライ。どちらも熱々のサクサク、揚げたてで美味しいこと! 仕入れは毎朝、大田市場に足を運び自分の目で選ぶ。そんな毎日を40年続けている。続いては、そんなご主人厳選のブリを使った「ブリ大根(800円・税別)」。「ブリ、ほろほろよ。身がすごく柔らかい」とは西島さん。甘めの味付けについては「僕ね、煮物が甘いんです。おばあちゃん子なんで、だいたいおばあちゃんの味付けってそうでしょ?」と笑う。見事な包丁の技と、家庭料理風の味付け。それがまた常連さんを惹きつける理由だろう。
最後の一品は「寄せ鍋」。まず、その素材がすごい。カキにハマグリ、鮭、タラにタラの白子、そしてあん肝! 西島さんが、その豪華さに“夢の鍋”、“オールスター鍋”だと驚いていると、「この鍋は、スープを飲んでいただきたい」とご主人。寄せ鍋の多種多様な具材から出る味をまとめるのは、特製のオリジナル味噌出汁。その味には絶対の自信があるようだ。一口飲んだきたろうさんは「うまいなこれは。もう具はいらんよ」とご満悦。しかもこの出汁、作るたびに進化し美味しくなっているという。その味を確かめるだけでも、通いたくなる一軒だ。