東京スカイツリーを見上げながら、東京墨田区押上の一角にある酒場「居酒屋 のんき」にたどり着いた、きたろうさんと西島さん。暖簾をくぐり、席に座りながら「で、誰がのんきなの?」などと軽口を叩きながら、まずは焼酎ハイボールで「今宵に乾杯!」。お店を切り盛りするのは、女将の藤田静子さん。息子の淳之さんが調理場を担当し、妻の恵さんも店を手伝う。最初の一品は、300円で出している日替わりの「本日のサービス品」で、マグロたたきポン酢。「みなさん、最初は大体『サービスをちょうだい』って言いますね」とは女将さん。300円と安いが、辛子と柚子胡椒でいただくマグロのたたきは、ゴマが効きつつ、さっぱりしていて一品目に最適。
女将が、先代の主人と結婚したのが昭和46年。洋食店で働いていた先代は結婚後に独立し、焼きそば屋や寿司屋、和食店などを経営。その後、地元の押上で「のんき」を開業するが4年後に病に倒れ、39歳という若さで帰らぬ人に。残された静子さんは、酒場を営みながら二人の子供を育て上げた。「本当は店を辞めたかったんですけどね(笑)」と女将。先代は破天荒な人だったらしく「一口では言えないけど、もうお金は使うわ、ひどかったですよ。売り上げのお金、全部使ってくる。飲み屋で何千万円ですよ。だから死んでから、あの人の悪口を言う人はいなかったですね」と笑いとばす。
次のオススメは、曜日限定で出している「鶏レバ刺し」。低温調理でゆっくり火を通し、生っぽい感じを残し、味噌味とごま油、塩レモンの3種の味付けで楽しめる。「これ、新鮮なんだな。プリップリで美味しいですね。3種類食べられるのがすごく嬉しい」と西島さん。料理を作る息子の淳之さんが、店を手伝うようになったのは、大学時代に母親が体調を崩し入院したのがきっかけだった。もともと店を継ぐ気はなかったが、働く母の姿を見て育った淳之さんは、大学を中退し店を継ぐべく、独学で料理の勉強に励み今に至る。「父親の味は覚えているんですけど、再現はできないですね。レシピがないし。それでも美味しい料理を作っていましたから」という息子に、「あの親父の料理は、息子も敵わない。まだまだ全然」という女将の表情は、少し自慢げだ。
父親に負けじと、淳之さんが考案した「豚バラ軟骨煮込み」が、次のオススメ料理。表面を軽く焼き、旨味を閉じ込めた豚バラ軟骨を、自家製合わせ味噌で8時間煮込んだ料理は、今や店の名物。「軟骨がコリコリだけど、周りがホロホロなの。軟骨のまわり、いい味が出ていますね」と西島さん。そんな淳之さんを支えつつ、店を明るくしているのが妻の恵さん。「お母さんの頃からの常連さんとか、すっごく優しいんですよ」という恵さん。女将にとっても頼もしい存在で、その明るい人柄で店がアットホームな空間になったという。常連さんに、この店がどんなお店かを訊くと「ここはホームです。もう家です」とのこと。その気持ち、一見さんでも分かる気がする。
次は「白子の揚げ出し」。「熱いので気をつけてください」という注意もほどほどにかぶりつくと「すごいわ、うまいね」「とろけるって、こういうのをいうんですね。天ぷらにすると、白子の濃さが際立ちますね」と二人とも大興奮。最後に、これだけは食べて帰れのメニューをお願いすると「つくね鍋」が登場。野菜や豆腐、キノコ類がグツグツ煮える鍋に、つくねを自ら投入。まずはスープをすくって一口飲むと「おぉ、すごい。これ強烈だね」、「美味しい。この出汁、飲ませますね!」と、頬が緩む。少し粗めのつくねの食感や、味も抜群! 息子である淳之さんの味に「頑張ってると思いますよ、こんな風に店を継いだり、料理をやると思っていなかったです。もう一切、口出ししていないですもん。私がいなくてもいいかなと思う」という女将。しかし淳之さんと恵さんは「まだ、足下にも及ばない。目標というか、超えられない人というか、背中を追っかけていければ」と謙遜する。知れば知るほどに、酒場の奥深さを、商売の大変さを知る。それが本当の意味での、店を継ぐということなのかも知れない。