中華料理店から大衆酒場へ
神田で67年続く老舗の味は
日本人の舌に合わせた優しい味
広く長く愛され続ける餃子
東京・神田の古書街。その細い路地を進んでいくと、酒呑みのアンテナに引っかかる店があちこちに……。「いいでしょう? 昔の雰囲気」と、きたろうさんが指差したのは、創業67年目を迎えた「鶴亀」。三代目主人の劉志紅さんに、焼酎ハイボールをお願いして、常連さんと早速「今宵に乾杯!」。濃いめの一杯にあう最初の一品は「焼き餃子」。出てきた餃子は大ぶりで、一口頬張ったきたろうさんは「うまい!俺の好きな餃子」と言い、西島さんは「皮が厚すぎず、薄すぎず、歯切れが良い。中にちゃんと肉汁が入っているし」と絶賛。その食べやすさの秘密は、手間にある。「皮や具をゼロから作っているんで、大変なんです。あんまりたくさん作れないんですよ」と三代目。ニンニクは入っているが、少しだけ。その分、旨味や味のパンチが出るように、丁寧に作られている。「お土産で売りなさいよ」と、きたろうさんが言うと「いや〜、作るのが大変なので」と笑う三代目に、絶対に手を抜かない誠実な人柄がうかがえる。
創業者は三代目の祖母で、4年前に105歳で他界した楊蘊玉(よう おんぎょく)さん。両親を早くに亡くし、17歳で中国人のご主人と結婚。二十歳の時に日本にやって来て、得意だった料理の腕を生かし44歳にして、長男の憲民さんと中華料理店「中央亭」を開業した。16歳から中央亭で働いていたという松田武雄さんは、楊さんを「仕込みをちゃんとやる、手抜きが嫌いな人でした。宮崎から集団就職で上京して、初めての誕生日に、赤飯をご馳走になったことが忘れられないですね」と語る。三代目も「おばあさんは勉強が好きだったから、日本でいろんな料理を食べて、教えてもらって、中華料理を日本人の舌に合うようにしていったんです」と語る。その後、楊さんが72歳の時に店は庶民的な酒場「鶴亀」に変わるが、常に料理の味を気にかけ、厳しく料理人を指導したという。そんな楊さんから教えられたという「ニラ玉」が、次の一品。「ニラ玉は、簡単なんです。簡単なんだけれども、手を抜くとすぐバレちゃう。塩は2回振るとか、油をどれくらい入れるとか全部測って、作らせるんです。卵も35回混ぜないと綺麗にできない、とかね」。きたろうさんが「意外と和風だよね」と言うように、その味は楊さんが、“日本人の好む味に中華を近づけたレシピ”のおかげなのだ。
働く人も、お客さんも楽しめる店
焼きビーフン
次は三代目のオリジナル「チーズ煎餅」。チーズ味の煎餅という組み合わせが楽しく、また焼酎ハイボールにぴったりだ。三代目は日本の大学院で勉強するため、22歳で中国から来日。店の2階で楊さんと暮らしながら、昼は大学院、夜は店の手伝いをしていた。その後、日本の商社に就職したが、二代目の憲民さんが突然の病で帰らぬ人となり、楊さんの熱心な誘いもあって、37歳でお店を継いだ。そんな三代目の次の料理は「焼きビーフン」。西島さんは「焼きビーフンって、ヘルシーで軽めのイメージですけど、こちらの焼きビーフンはガッツリですね」とパクパク。「桜海老が入っているから、旨味がすごい。こちらの料理はどれも、エビ出汁とか、何かしらの出汁の旨味が効いているんですよね」と、感心しきり。
最後の一品は、中華の定番「マーボ豆腐」。「うちのマーボ豆腐は、みんなが食べられる味なんです。中国の麻婆豆腐は山椒を入れて、しびれるような味にするんですけど、うちは山椒を入れないんです」と3代目。「辛さも後から微妙にくるけど、これだったら全然大丈夫」、「旨味、辛味、甘味、全部バランスがいい」と、きたろうさんと西島さん。67年前、食べ慣れない中華料理を食べて欲しいと願って生み出された味が、国籍も時代も超えて、懐かしさと共に今も愛され続けている。そんな味を、常連さんは「心がある」と言う。お客さんのために考え抜かれた味、そしてそれを守り続ける事。そのどちらもなければ、そんな褒め言葉はもらえないものだ。