ご主人たちが作り上げた
味と暖簾を守り続ける
3世代の女性の物語
工夫が凝らされた串の数々
場所は東京都渋谷区の幡ヶ谷。創業50年以上という「鳥伊那」で、一行を迎えてくれたのは、女将の松下まさゑさんと、店員の林節子さん、そして看板娘の淳子さん。世代の異なる3人の女性が営む店は、なかなか珍しい。興味津々のきたろうさんだが、お話の前に焼酎ハイボールで「今宵に乾杯!」。最初のオススメをお願いすると「ゴンボ」と「笹身焼き」が登場。ゴンボとは「ぼんじり」とも呼ばれる鳥の尾骨部分で、濃厚な味わい。これと対称的なのが、ワサビ付きでさっぱりした「笹身焼き」。「ゴンボのちょっと甘い脂の後の、さっぱり笹身焼きがいい。ねぎまみたいに間に入っているものはなんですか?」と、西島さんが訊くと、なんと「ウド」。その食感が、実にいいアクセントになっている。焼きの技はもちろん、そうした工夫も人気の秘密に違いない。
店を始めたのは、女将のご主人で15年前に他界した善行さん。もともと建築関係の仕事をしていたが、酒場を開くために上京し、修行を始めたという。女将とは知人の紹介で知り合い、昭和43年に結婚して中野坂上で開業、3年後に幡ヶ谷へと移転した。「そのうちお客さんが増えまして、私の弟に手伝ってもらうようになって、さらに弟の奥さんも」と女将。その奥さん、つまり義理の妹に当たるのが店員の林節子さんだ。節子さんのご主人・保さんについて訊くと「優しいし強いし、すっごくいい人でした」と、照れずにまっすぐ答える節子さん。そんな保さんと、顔も性格もよく似ているという娘さんが、淳子さんだ。そんな淳子さんもまた、保さんのことを「お父さんを超える男性はいないと思います」と言う。しかし善行さんは15年前に、保さんは7年前に亡くなってしまう。淳子さんは、叔父である善行さんに口説かれて、アパレル業界から酒場へ転職。「亡くなる直前まで断っていたんですけど、それでも『やってくれ、淳子、手伝ってくれー』って。『おじちゃん分かった、やってあげる』って、言った瞬間に死んじゃったような勢いで。もう遺言のような感じだから、そこで『できない』とは言えなかった」と笑う淳子さん。そして父の保さん指導のもと、きびしく酒場の仕事を教えられたという。
味と暖簾は新しい世代へ
椎茸焼,茗荷焼
次のオススメは野菜焼き。出てきたのは大ぶりの立派な茗荷に、味噌を付けて焼いた串と、椎茸とピーマンの串。「この店は独創的だよ。茗荷とか初めてだよ」、「焼き方とこの塩加減と、いい塩梅なんですよね」と、きたろうさんも西島さんも感心しきり。野菜の仕込みを担当し、焼き場にも立つ淳子さんだが、「最初はやめたい、やめたい、の連続でした」と言う。でも常連さんを知れば知るほど、感謝の思いでいっぱいになり、なんの苦も無くなったという。しかし2年前、節子さんがくも膜下を患い、淳子さんは「鳥伊那」を3カ月間休むことに。「どうしようか、2人じゃ無理だね」と女将と話していたと言うが、奇跡的に障害も残らず復帰でき、今に至っている。これもまた、天国のご主人たちの“はからい”かもしれない。
次の串はタレ焼きで「血キモ」と「ハツモト」。血キモはレバーのことで、この店では大山鶏の白レバーを使用。食べると濃厚だが臭みがなく、レバーが苦手な人でも食べられそう。一方の「ハツモト」は、ハツとレバーがくっついている部分だけを集めた希少な串。「柔らかい。ちょっとプリプリしていて、脂が乗っていてタレがよく合いますね」と西島さん。タレはコクがある感じで、常連さんも「昔から変わらない味」と太鼓判。最後の一品は、冬場だけの限定メニュー「湯豆腐」。いわゆる湯豆腐と違うのは、その見た目。卵とじになっていて、白菜や春菊、ネギが入っており、しかも出汁が鳥出汁! 酒呑みのおなかを温める「湯豆腐」は、これ以上ない〆だ。きたろうさんが「淳子さんは、この店を継ぐ気持ちができているんですか?」と訊くと、「頑張れたらいいなと、思っています。あとはおばちゃん次第です。おばちゃんが譲ってくれるかっていう大問題が」と淳子さん。すると、すかさず「継いでくれるなら、お任せします」と女将。常連さんの心の拠り所は、しばらく安泰のようだ。