浅草で創業79年目の老舗とんかつ店
街の移り変わりとともに人々が集う酒場に
暖簾を守る三代目夫婦の物語
加賀野菜を使った季節料理に舌つづみ
国内外からの観光客で賑わう台東区・浅草で、昭和15年創業の「浅草 とんかつ弥生」。三代目主人・米林雄二郎さんと女将の冴子さんが店を切り盛りする、創業79年の名店だ。
きたろうさんと西島さん、まずは焼酎ハイボールで「今宵に乾杯!」。さっそく最初のおすすめ、加賀野菜「金時草(きんじそう)のおひたし」をいただく。きれいな赤紫色の茹で汁は葉の成分で、栄養も満点だとか。「シャキシャキだけど粘り気があっておいしい!」と西島さん。東京では珍しい加賀野菜は、金沢で農家を営むご主人の実家から取り寄せている。女将も金沢出身かと思いきや、「私はここが実家です。祖父母が店を始めて、両親が二代目、私たちで三代目です」と、生まれも育ちも浅草の江戸っ子だ。
店を創業した冴子さんの祖父・弥太郎さんは大正10年、栃木県から上京し、上野の洋食店で修業。昭和15年に「とんかつ弥生」を開業した。当時まだとんかつは珍しく、たちまち人気店に。昭和59年に弥太郎さんが亡くなり、冴子さんの両親が店を継いだ。「私は次女なんですが、祖父母も両親も店のことを何でも私に教えてくれて。ゆくゆくは私に継いでほしいと思っていたみたい」と笑う冴子さん。
次の料理は「串揚げ3品盛り」(加賀れんこん、鶏卵、串カツ)。初代から受け継ぐ串カツはヒレ肉を使用。加賀れんこんは塩で。「合うねぇ、れんこん、うまい!」と大満足のきたろうさん。鶏卵は、お客さんの要望でLサイズの茹で卵をまるまま揚げた食べごたえ十分な一本。
「両親は本当に仲のいい夫婦で、父は母のことが大好きだった」と振り返る冴子さん。仲睦まじく店を切り盛りする両親を見て育った彼女は、平成15年に雄二郎さんと結婚。しかし、挙式から3カ月後に母・節子さんが他界、その2年後、父・一男さんもこの世を去った。両親を失った冴子さんは勤めていた銀行を退社し、店を継ぐ決心をした。
とんかつ店を酒場にした理由を冴子さんに聞くと、「浅草もマンションがどんどん増えて、みなさん帰りが遅い。昔からのお客さんにも新しいお客さんにも来てもらえるように、時代に合わせて店も変えていかないと」と語ってくれた。
夫婦の絆が代々つなぐ伝統の味
ロースかつ
ここで79年続く伝統の味「ロースかつ」が登場! 肉厚でボリューム満点のロースかつに、「うわぁ、大きい!」と歓声をあげるふたり。待ちきれない様子でソースをかけて、かぶりつくと、「すごく分厚いのに、肉が柔らか! おいしい〜」と西島さん大興奮。口にするまでの時間と余熱も計算して揚げるという、手間のかかるとんかつだが、「代々受け継いできた味なので、やっぱりこれだけは守っていきたい」と、女将の思いは熱い。
次の一皿は夫婦の創作料理「豚肉ねぎまみれ」。豚肉にたっぷりかかったネギが食欲をそそる一品だ。「醤油ダレにゴマ油の香りがたまらない! おいしい〜」と、もう箸が止まらない。
女将とともに暖簾を守るご主人は、結婚後しばらくサラリーマンを続けていたが、両親が亡くなり、子供も生まれると、ひとりで大変そうな妻を思いやり、思い切って会社を辞めたという。「いい旦那さんだねぇ」ときたろうさん。冴子さんは「主人の人生もあるし、私が細々とやっていけばいいと思っていたんですが、彼が見るに見かねて決断してくれて」。
「この仕事をやってよかったかは、正直まだ分からない」というご主人。「サラリーマンの方が楽だったかもしれないし、この仕事も楽しいこと辛いこといろいろあるから。でも自分で決めたことなので後悔はしてません」と穏やかな笑顔。それを聞いて「ほっとした」と冴子さん。
「元気でいつまでも店を続けていけるように、よろしくお願いします」と冴子さんが言うと、「店に入ってまだ10年程。先代、先々代は30〜40年続けてきたんだから、自分も頑張らなきゃ」とご主人。先代、先々代に負けない夫婦の絆が垣間見える。
最後の締めは、初代から続く「豚汁」。溶き卵入りの味噌汁をアレンジした弥生オリジナルの豚汁に、「えっ? これ豚汁!? 雑炊みたい!」と驚くふたり。一口食べて「なんて上品なの? おいしい〜」と大感激の西島さん。飲んだ後にもさらっといける優しい味に、きたろうさんも「さっぱりしてるねぇ」と感心しきりだ。
酒場とは「温故知新」と言う冴子さん。「新しいものもどんどん浅草に入ってくるけれど、変わらない大事なものもある。酒場にはいつもそんな空気が流れているし、これからも変わらないでほしい」。変わりゆく浅草で、変わらない落ち着いたひと時を過ごせる貴重な一軒だ。