国分寺で創業45年
地元に愛される老舗酒場で
暖簾を守り続ける親子の物語
鮮度抜群のレバ焼きは感激の旨さ!
本日の舞台は国分寺市。武蔵野線と中央線が乗り入れるJR西国分寺の駅前で、「昔はこんな賑やかじゃなかったよ」と、遠い目になるきたろうさん。西島さんも「変わったんでしょうね」と言いながら、ふたりは今宵の酒場「炭火焼串処 鳥芳」へ。駅からすぐの静かな通りに佇む、昭和49年創業の老舗酒場に、「いい雰囲気〜」とワクワク。焼き台の前では、店を継いで15年になる、二代目ご主人・菊池寛一(ひろかず)さん(47歳)が腕をふるう。
さっそく、焼酎ハイボールで「今宵に乾杯!」したふたりは、最初のおすすめ、「レバー、軟骨、ハツモト」をいただく。焼鳥かと思いきや、すべて豚。「レバを塩で、って相当新鮮」と西島さんが感激していると、「生まれて初めての旨さだ……」と絶句するきたろうさん。「焼き加減もすごい! 中はレアで、プリプリ、モチモチ」と1串目から大興奮のふたり。辛味噌を塗ったハツモト(心臓と動脈の付け根部分)に、「コリコリしておいしい〜」と舌つづみを打てば、続いての軟骨も、「歯ごたえが素晴らしい!」と、早くも絶賛の嵐だ。
ここで、先代のご主人・菊池賢一さん(78歳)が登場。現在は裏方として、毎朝6時からモツの仕入れや仕込みを行っているという。酒場を始めたきっかけを伺うと、穏やかな口調とは裏腹に、賢一さんの行動は大胆なものだった。実家の理容店の仕事が合わず、ある日突然飛び出して、西国分寺駅前のわずか5坪の倉庫を改良し、飲食店の経験もないまま、夫婦でいきなり焼鳥店を始めたのだ。「最初は近所の農家の鶏をもらってきて、自分でさばいてました。でも、なかなか手に入らなくてね。それで豚に変更して、立川の屠場で目利きをいろいろ教えてもらった。鮮度のいいものを手に入れられたのが、一番の強みですね」と振り返る。開業当初からお客さんの入りもよく、「西国分寺駅が開設された昭和48年頃は、電車は1時間に1本程度。乗り換えの待ち時間に、“ちょっと一杯”というお客さんも多いはず」との見込みも当たった。
焼き方などは、ひとつずつ自分で試行錯誤しながら身につけていったという賢一さん。「お客さんにあれこれ言われませんでしたか?」と聞くと、「まずは真面目に聞いて、一度取り組んでみるんですね。いい場合もあるし、悪い場合もありますが」という丁寧な答えに、「真摯に受け止めるっていうのはこういうことなんだね。すごい親父だね」ときたろうさん。地元に愛される人気酒場を作り上げた賢一さんは、平成元年に現在の場所に移転し、平成15年には息子の寛一さんに暖簾を受け継いだ。
豚の脾臓を使ったチレヌタに舌つづみ
ハラミのにんにく醤油漬
さて、次のおすすめは、先代考案の名物「チレヌタ」。「チレ」とは豚の脾臓(ひぞう)で、扱う店も少ない希少な部位だ。そんなチレをからし酢味噌で和え、レタスに包んでいただけば、「さっぱりしていて食べやすい」と西島さんはすっかり気に入った様子。
二代目の寛一さんは、「最初から父の跡を継ぐ前提で、父とは違うものを身につけよう」と、イタリアンレストランで修業した後、30歳で店を継いだ。「この店は父が生涯かけた店なので、それを肯定したくて。それができるのは、息子の自分しかいないので」と、先代への尊敬の念があふれる。「こんな素敵な息子で、うれしいよね、親父!」ときたろうさん。「先代になんとか認めてもらいたいと思ってやってきましたが、まだまだ。難しいです」という寛一さんに、「何の心配もないよ。俺が太鼓判押すよ(笑)」と請け合うきたろうさんだった。
次の料理は「ハラミのにんにく醤油漬」。豚のハラミを焼き、にんにく醤油に漬け込んだ、二代目考案の洋食風メニュー。「ほとんどローストビーフだ。ハラミも大喜びだね!」ときたろうさん。「おいしいし、やわらかいし」と西島さんも箸がとまらない。
続いては、女性に大人気の「鳥芳サラダ」が登場。グレープフルーツの果肉をくり抜いた器に盛った、可愛らしい一皿。コブクロとハツ、レタスやキュウリ、リンゴやバナナなどを使い、「モツをなるべく爽やかに食べてほしい」と考案したそうで、「フルーツみたい!」と西島さん。こちらも先代のアイデアで、遊び心あふれるセンスに驚くしかない!
店を続けるための秘訣は、「お客さんにお店を好きになってもらうこと。見守ってくださるお客さんが多くて、スタッフもお客さんに育ててもらえる。そういう関係を大事にしたいですね」と寛一さん。
最後の〆には、もつ煮込を。しろ、てっぽう、ガツなどを白味噌で煮込んだ、こってりし過ぎない味わいに、西島さんは、「モツがふかふかでおいしい。さらっとお腹に入って、〆に出てくる理由が分かる」と、心も身体もほっこり大満足だ。
「酒場とは何か」を伺うと、「お店がなければ出会うことのない人たちが出会える場所ですね」と寛一さん。先代は「社会学です。いろんな方と出会い、勉強させてもらう。人を大事にするというのが基本です」。真面目で誠実な親子が暖簾を守る「鳥芳」は、西国分寺がうらやましくなるくらいの“いい店”だった。