20年間の修業で磨いた腕が光る!
熊本の幻の地鶏“天草大王”を使った
絶品料理を味わい尽くす
しっかりした肉質と濃い旨味が特徴
学問の神様として有名な湯島天神にやってきた、きたろうと西島さん。今宵お邪魔するのは、文京区湯島で平成27年に創業した「居酒屋どんちゃん」だ。“どんちゃん”こと、ご主人の坂田真人(まひと)さん(45歳)は、「小さい頃からのあだ名です。体形とマッチしてたんでしょうね(笑)」と飾らない。ふたりは、さっそく焼酎ハイボールを注文して、「今宵に乾杯!」。
最初のおすすめは、「お刺身5種」。この日は、真つぶ貝にカンパチ、マグロ中トロ、イトヨリ、サバの盛合せ。まずは、朝〆のカンパチを食べて「シコシコした歯応えが新鮮そのもの!」と感激するきたろうさん。淡路産イトヨリはしっとりした食感に爽やかな風味。北海道産真つぶ貝は、コリコリと噛めば噛むほど口内に甘みが広がる。仕入れは豊洲市場を通さず、懇意の鮮魚店から全国の魚介を産地直送してもらうそうで、格別な新鮮さも納得だ。
20代の頃に飲食業界で働き始めたご主人だが、修業は想像以上に厳しかったとか。「当時は、親方の仕事を見て、自分で技術を身につけるしかなかった。チャンスを与えられたときに、できなければ怒られるし、モノが飛んでくることも……」と苦しかった日々を思い出す。それでも諦めず、様々な店で料理の腕を磨き続けたのは、心から料理が好きだったからだ。
次のおすすめは、熊本の“幻の地鶏”「天草大王の手羽先焼」。昭和初期に一度絶滅したが、その後の研究によって2000年に復元され、2004年に地鶏に認定された品種だ。そんな天草大王の手羽は、見るからにビッグサイズ。がぶりと?り付いて、「すごいしっかりした肉質!」と驚く西島さん。「素晴らしい筋肉に惚れ惚れ。アスリートだね」ときたろうさんも絶賛。国内食肉用鶏の中で最大級だそうで、「まさに大王。これは他では食べられないね」と、夢中でしゃぶり尽くすのだった。
2006年に31歳で結婚したご主人。妻の恵理子さんとは修業先の店で出会い、「釣り上げました」と照れ笑いする。ふたりの子宝にも恵まれ、幸せな日々を送っていたが、当時はまだ修業中の身。「自分の店を持ちたいという思いはずっとありましたが、結婚して家庭ができると、なかなか踏み切れなかった」と言う。そんなご主人の背中を押したのは、「思ったとおりにやればいいよ」という理恵子さんの言葉だった。約20年の厳しい修業を経て、2015年に念願の自分の店を開業。天草大王を店の目玉にした。「天草を訪れた時に天草大王を知って、自分の店を開くときは、絶対使いたいと、ずっとアイデアを温めてたんです」。きたろうさんは、「修業中はずっと隠してたんだ!? 天草だけに“隠れキリシタン”だな(笑)」。
天草大王の「出汁茶漬け」に悶絶!
続いては、そんな天草大王の「モモとムネの網焼き」を。ガーリックバターが利いた店一番人気の一品に、「ジューシーさと噛み応えのバランスが抜群! ムネ肉もしっとりして最高〜」と大満足のふたり。
40歳で店を開業した当初は、「立地的にもなかなか店を知ってもらえず、大変だった」とご主人。「だから、わざわざ来て下さるお客さんの要望には、できるだけ応えたくて」。お客さんのリクエストに合わせて、メニューも増やし、現在は約80種類に。そんな取り組みが、常連客に愛され、今ではすっかり人気店に成長した。
ここで、見た目も美しい「ネギトロ生春巻」が登場! シャキシャキの水菜と錦糸卵をネギトロと一緒にライスペーパーで巻き、イクラをのせた、鮮やかな一品。「初めて食べたけど、さっぱりしていておいしい」と感心する西島さん。「マヨネーズとごまのソースも合うね」ときたろうさんも舌つづみをうつ。
現在は、新型コロナウイルス感染防止のため消毒を徹底するなど大変だが、ご主人には、将来、思い描いている夢もあるとか。「ハワイでお店を出したいんです。天草大王は持っていけるか分からないけど」と嬉しそう。「どんちゃん、いいじゃん!」と盛り上がるきたろうさん。「ちゃんと具体的に考えてますね。アイデア温めるタイプだから」と西島さんもノリノリだ。
最後は、「〆の出汁茶漬」を。天草大王の鶏ガラを約8時間煮込んだ出汁は、飲んだ瞬間に、「濃い! おいしい〜」とため息が出るほど。「すごいな、出汁が出すぎなくらいだよ」と身悶えするきたろうさんに、「最後まで大王たる味を堂々と出してほしいので」とご主人は胸を張る。
ご主人にとって酒場とは、「空間。うちにはうちの雰囲気や空間があって、それも味のひとつ」と言う。きたろうさんは、「空間って言葉、かっこいい! 哲学者かと思ったよ。『酒場とは空間を楽しむ』って言いなおして」とリクエストして、「ほら、かっこいいー」と、もう一度大絶賛。西島さんも、「確かにそうですね。同じメニューを家で食べても、ちょっと違う味になりますもんね」と、酒場のありがたさを痛感するのだった。