東京都葛飾区四つ木で創業23年!
厳しい修業を乗り越え
子供の頃からの夢を叶えた男の物語
特製ソースで食す「まぐろのカルパッチョ」
今宵の舞台は、東京都葛飾区四つ木。漫画「キャプテン翼」の作者・高橋陽一氏の出身地であり、漫画の主人公・大空翼の銅像が設置された公園や、「キャプテン翼」のラッピング装飾が施された京成電鉄押上線・四ツ木駅など、ファンにとって見どころの多いエリアだ。そんな四つ木で、きたろうさんと武藤さんが訪れたのは、和食をベースにした様々な創作料理が味わえる「呑み食い屋 わ」。広々とした清潔感のある店内で、ご主人の鈴木康史さん(55歳)に迎えられ、ふたりは、さっそく、焼酎ハイボールで「今宵に乾杯!」
最初のおすすめは、「まぐろのカルパッチョ」。色鮮やかに盛り付けられたおしゃれな一皿に大喜びの武藤さん。一口食べて、「おいしい! この濃厚なソースがよく合う!」と感激。ニンニク、サラダ油、卵黄、塩、胡椒、醤油などを使って作る特製ソースは、「淡泊なものなら、結構何にでも合いますね」と自信を見せるご主人だ。
福島県いわき市の漁師町で生まれ育ったご主人。「うちは漁師一家でしたが、自分は漁師になろうとは思わなかった。子供の頃から、自分の店を持つことが夢だった」という。小学生時代の文集にも、「将来の夢は、大きい店を開いて、うまい料理を作って、儲けたい」と書いていたそうで、高校卒業後は、上京して調理師専門学校に入学。19歳で割烹料理店に就職し、夢への第一歩を踏み出した。
しかし、「今考えると、修業時代は異常でした」と自ら振り返り、「親方が来たら、まず親方の自転車を担いで運び、作務衣を着せ、履物を用意してから、お茶やおしぼりを出す。食事は親方以外は全員立って食べるのがしきたりで、厨房では物を投げられたりもしましたね」と苦笑い。それでも、「上京したのに田舎に帰るのは格好悪い」と、3年弱の修業を耐え抜いたのだ。きたろうさんは、「その時は辛かっただろうけど、今考えると貴重な体験かもしれないね。理不尽を知るっていうね。でも、俺だったら3日で辞めるな(笑)」
料理界の厳しさを19歳にして経験しながらも夢を諦めなかったご主人。23歳からは大手町にある懐石料理店で働き始めたそうで、「環境が全く違って、ごはんは座って食べれられるし、休憩まである。天国でしたね!」と笑う。その後は、さらに、中華料理や無国籍料理の店でも修業を重ねて、資金を貯め、平成14年、33歳で念願の自分の城を構えたのだ。
フランス料理!? 「つぶ貝のエスカルゴ風」
さて、次のおすすめ料理は「えびのプリプリすり身揚げ」! 2軒目の修業先で学んだ得意料理だという。すり潰した海老と玉ねぎを混ぜ合わせて揚げてあり、「海老がプリプリしていて、存在感がすごい!」と舌つづみを打つ武藤さん。きたろうさんは、「自己主張しないのに、旨い! これが和食だね」と感心しきりだ。
続いての「トマトとクリームチーズのサラダ」はご主人自慢の創作料理! スライスしたトマトにクリームチーズを挟み、ピリ辛のオリジナルソースをかけた、見た目もおしゃれな一品だ。武藤さんは、「カプレーゼっぽいかと思ったら、ソースがピリっとしていておいしい! トマトだからすごくさっぱりしてますね」と大絶賛!
店名は、「和食の“わ”」」「人と人との“わ”」、「会話の“わ”」など、様々な意味が込められているという。開業直後から、「お客さんがどんどん詰めかけて、大変だった」そうで、「あまりに忙しくて寝る暇もなくて、1か月後くらいに倒れちゃって。過労だと思ったんですが、脳梗塞で即入院でした」と、休業を余儀なくされたという。それでも1カ月後、店を再開できたのは、待っていてくれたお客さんのおかげ。「料理が美味しくて、誰を連れてきても喜んでくれる」、「大将の人柄が素敵」と店を愛する常連さんたちに支えられたのだ。
そして、次の一皿もおしゃれな一品! 洋食を和食にアレンジした「つぶ貝のエスカルゴ風」だ。エスカルゴの代わりにつぶ貝を使い、バター、醤油、にんにく、パセリ、パン粉などを乗せてオーブンで焼く。アツアツをフーフーしながらいただいて、「おしゃれな味がしますね! つぶ貝が柔らかくて、クセがなく、食べやすい〜」と目を細める武藤さん。きたろうさんは、「ほとんどもうフランスじゃん!」と興奮気味だ。
最後の〆は「まぐろ茶漬け」。艶やかなまぐろの刺身をご飯にのせ、自家製かつお出汁をかけていただく。贅沢なお茶漬けに、きたろうさんは、「旨い! これは驚いたなぁ」と唸り、「やっぱり出汁だねぇ〜、日本人は! 自己主張しないのに美味しい! 懐石料理の基本だね」と深く頷いた。
料理人人生36年というご主人。「料理のこだわりはない」と言いつつ、「大切にしているのは、手を抜かないこと。それに尽きる」と妥協はない。そんなご主人にとって、酒場とは「憩いの場」。「今来てくれているお客さんたちを大切にして、やれるとこまでやれれば」と気負いなく語ってくれた。