京成四ツ木駅から「まいろーど四つ木」商店街を北へ七分。〔焼酎・ハイボール 大衆酒場「ゑびす」〕の大ノレンをかき分けて入ると、竹下景子似のママさんがにっこりと迎えてくれる。厨房を囲むカウンターは大きく、ゆったり二五人は坐れる。その奥には座敷も。
「スッゲー、この品書き札!」
と大竹画伯がたまげる。店内の端から端までズラーリと貼りだされた品書きは数えきれないほどだ。「これ、全部食べてみるには一カ月はかかるな」
なーに、そう言う画伯、たちまち煮込み、イワシ刺し身、うなぎ肝焼き、カシラにガツを注文。一週間で制覇できそうだ。酎ハイは「純」の二五度。大グラスに特製エキス入りで二七〇円なり。
四時開店と同時に常連客がカウンターの定ポジションに並ぶ。
ほとんどがご近所さんで、自転車で来るから店の前は自転車駐輪場になる。
「ここに店を出してもう五五年だねえ。今の半分の大きさだったんだが、始めは仕入れの金もなくて、今日の売上で払うからと頼んでねえ」
と今年九〇歳になったオーナーの石田幸雄さん。息子さんが継いで秋田美人の奥さんとしっかり店を切り盛りしている。
「昔はみんな焼酎を生で飲んだり、梅エキス割りにしていたね。
四ツ木ではハイボール出したのはうちが一番早かった。今も酎ハイがよく出るね」(石田さん)
東京の下町・葛飾区四つ木は職人の多い親しみのある街だ。月に一度は朝市を開き、盆踊りをはじめさまざまな催しを開く元気な街でもある。客もみんな顔なじみ。
「今日、胃カメラ呑んできたんだよ。そしたら何も異常ないってさ。だからよけい酎ハイが旨い!」「そりゃ、めでてえや。乾杯!」
石田さんはここに店を出す前は向島で五年間営業していた。終戦直後で酒も統制でおいそれとは買えなかった。
「あっちで一本、こっちで二本と買い集めてね。それでも足りなくて、喫茶店のような状態が主でした。あの頃は今のような旨い焼酎はなくってね。今はほんとにおいしくなって、女性客も焼酎を楽しそうに飲んでますよ」
焼酎文化は旨い甲類焼酎の出現で革命的に変わった。レモン、グレープフルーツ、ウーロン茶など何と合わせてもおいしく、しかも安い酎ハイが若者や女性を飲酒文化の世界に引き入れた。四つ木の「ゑびす」も酎ハイを出すことで客をつかみ、小さかった店も倍の広さになった。
「ここなら旦那が飲んでても奥さんは安心だよ。みんなお互いに家庭の中のことまで全部知ってるからね。三代つづいてる客もいるよ。おじいさんと孫が一緒に来たりね」
店を半世紀以上つづかせるコツを尋ねると、石田さんはしみじみとした口調でこう言った。
「新鮮な材料を仕入れて、味よくこしらえて出すことだね。口に入れるものはすぐ分かるからね。それも安くして、あまり儲けず、コツコツと数でこなすことだねえ」
カウンターの大竹画伯が神妙に頷いた。
- ※ 2005.7.7 週刊文春 掲載分
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