「汽車より逗子をながめつつはや横須賀に着きにけり 見よやドックに集まりし わが軍艦の壮大を」
大和田竹建樹作詞で有名な鉄道唱歌を口ずさみながら、大竹画伯は横須賀線横須賀駅に降り立ち、バスで京浜急行横須賀中央駅前へ。駅前からほんのちょっと横丁へ入ったところに、「中央酒場」の立派な暖簾が出ている。
「明るくて清潔感のある店だね。入口から見ると左に長いカウンター、右にテーブルが六つ。わりと大きいな。『制限時間三時間』という札があるのは繁盛している証拠だね」
画伯の居酒屋観察眼も出来上がってきた。焼酎ハイボールに牛すじ煮込み、さんま刺し、厚焼きたまごを注文。メニューは豊富で、飲み物もいろいろ。カウンターの向こうに三人が立ち働き、ホール係りが四人。きびきびした働きぶりは見ていて気持ちがいい。
「この店は昭和二十八年創業で私は二代目。三代目が中でやってますよ。横須賀は戦前は海軍、戦後は自衛隊と米軍基地で、ほとんどが外から来た人なんですよ。そのせいか、横須賀の人はあまり群れたがらない。それぞれ好きなことをやっている。小泉純一郎さんなんか典型的だね。カウンターのお客を見てごらんなさい。
ほとんどが一人客の常連で、客同士がべたべたしたり店のわれわれに話しかけたりはほとんどしません。静かに飲んで、サッと帰っていく。横須賀は庶民的な町だから、気楽に飲める飲み屋が多いんですよ」
二代目オーナーの話である。そうは言いながら、横須賀高校野球部出身のオーナーは草野球チームを持ち、店の常連からなる「中央酒場友の会」もある。「友の会」事務局長がこう解説してくれた。
「この店は朝十時開店でしょう。以前は八時半だった。それはね、労働者が多いからなんですよ。基地や自衛隊は三交代制で、朝八時に終わった労働者がキュッと飲んで酔っ払える店が必要なんです。ここは焼酎もソーダもジョッキも冷やしてあるから、本格的なもんですよ」
「あれ、『海軍カレー』がらみの料理もできるんだって。横須賀市のウェブサイトに『カレーの街よこすか』というホームページもあったな。大日本帝国海軍はイギリス式の海軍食をアレンジして『海軍カレー』を開発し、水兵さんたちが家庭に持ち帰って広まったんだそうだ」
画伯は横須賀の居酒屋で飲んでいることを実感したようだ。大日本帝国海軍横須賀鎮守府が置かれたのが明治十七年。以来、野菜たっぷりの海軍カレーの伝統は営々と受け継がれ、いまは『海上自衛隊カレー』となっている。横須賀市は海軍カレーで街おこしを狙い、大いに当った。
「横須賀の三笠公園に戦艦『三笠』があるよね。前に見学したことがあるけど、日露戦争を戦った旗艦で、連合艦隊司令長官東郷平八郎の銅像も建っていた。東郷さんも海軍カレーを食べたろう。焼酎はどうか分からないけど」
中央酒場でいい気分になった画伯は、京急の特快で都心に戻る。わずか五十分。横須賀は意外に近かった。
- ※ 2006.11.2 週刊文春 掲載分
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